その高い身長と不釣り合いな低い書架の前で彼女を見つける。
―――あの時の少女だ。
一目で分かる。
あの頃から少し大人びた顔立ちになっているが、見間違えるはずがない。
何かを期待するかのように僅かに騒ぐ胸を懸命に抑える。

―――声を。
一言、何か声を掛けようか。

―――何か、お探しですか。
そう、利用者と図書館員としてなら、声を掛けても不自然じゃないはずだ。
これは、館内サービスの一環だと、自身を納得させる。
何か期待している訳じゃない。



『―――』
口を開こうとした瞬間、子ども特有の高い声にさえぎられる。


『まま!』
胸に絵本を抱えた女の子がぎゅーと彼女の腰にぶつかっていく。
振り返った彼女が、柔らかく笑み、腰をおろして女の子の頭を撫でる。
『×××ちゃん。読みたい絵本は見つかった?』
『うん!これ!これにするの!』
『そう。じゃあ、それを借りて帰ろうね』
『まま、おうちにかえったらよんでね』
『×××ちゃんが、ママの言うこときくイイコならね』
『うん!いいこにするよ』
えらいえらい、と母親の表情で女の子に接する彼女の姿に動きが固まる。
踵を返すことも出来ず、ただ、その光景を見つめることしか出来ない。


『―――郁』
振り返り、顔を綻ばせた彼女が立ち上がる。
『×××さん』
『ぱぱ!』
柔和な雰囲気の男性が女の子と、彼女に寄り添うように立つ。
その姿は自然で、とてもよく似合っている。
『何を探していたんだ?』
『探してたわけじゃないんだけどね。ほら、この本が目に入って』
書架から彼女が取り出したのは一冊の童話。
10年ほど前に発行された本の一つ。
彼女と、自分を引き合わせたあの本だ。

『ああ。郁の思い出の本か』
柔らかく、愛おしげに微笑む男性の姿に、胸が潰れる。
彼女は、自分とは違う男とその思い出を共有しているのだ。
自分と彼女の思い出のはずなのに、そこに自分は実体化していない。


『結局あたしは、あの時の王子様とは会えなかったけど』
『なんだ、俺じゃ不満なのか』
『もう!そんなこと言ってないじゃない。
 そりゃ、王子様には憧れてるけど、愛してるのは旦那様よ』
満足?と笑う彼女に男性も満足そうに笑う。


『ままーぱぱー!はやくかえってごほんよもうよー』
『まったく、お前は』
ねーねーと二人の洋服の裾を掴んで急かす女の子に男性が呆れたようなけれど愛おしむ笑みを浮かべ、隣で彼女が幸せそうに微笑む。
『ふふ。帰りましょうか』
『そうだな。我が家のお姫様がお待ちかねだ』
双方から差し出された手に女の子が嬉しそうに飛び付く。
そうして、女の子を間に挟んで手を繋ぐ幸せそうな家族。


通りすがりにすれ違う名もない『図書館員』に彼女が微笑んで小さく会釈する。
そして彼女の中で、俺は認識されていないのだと知る。
彼女にとって俺はただの一図書館員でしかない。


彼女が幸せであるのなら、それでいいと思っていたはずなのに。




「俺はそこで初めて後悔するんだ」


なぜ、あの時名乗らなかったのか。
なぜ、あの後彼女を探しに行かなかったのか。
そうしたら、あの幸せそうな笑みは自分に向けられていたのかもしれないのに。
もう、手遅れだというときになって、初めて思い知るのだ。




―――あの瞬間、自分は彼女に恋をしていたのだと。








「俺とお前は、きっと何があってもいつか再会しただろう。
 そして、もしその時お前が誰かと結婚していたら。
 残された俺だけが、お前に恋焦がれ続けるんだ」


どうして、自分は彼女を追いかけなかったのか。
どうして、とただ自分の不幸を嘆くしかできず。
そして、幸せを願ったはずの彼女の幸せを嫉むのだ。




顔を真っ赤にさせ、パクパクと言葉を出せないでいる郁を抱き上げ、自分の膝の上に乗せて抱きしめる。
今、自分の中にある幸福を。


「―――ほんとに。お前が、図書隊に入ってくれて良かった」


あの頃否定した事実を、今はただ感謝として受け止める。
彼女の目の前にあった、沢山の未来の中で、ただ一本。
自分ではなく。
彼女が俺を認めてくれる唯一の道。
俺が唯一幸せになれるか細い一本。



「出逢ってくれてありがとう」

そして。


「俺を愛してくれてありがとう」



それこそが、なんて奇跡。






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