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それはとある冬の話。 ―――ただいま。 玄関から響く声に、堂上家の一人息子、有馬がパタパタとリビングから出てくる。 「おとーさん、おかーりなさー!」 満面の笑みで飛び込んでくる、元気の塊を篤は腕に抱えて、正面から顔を合わせる。 「ただいま。お父さんがいない間、お母さんの言うこと聞いて、いい子にしてたか?」 「してたー!」 いい子の返事をする息子に、「偉いぞ」と篤の相好も崩れる。 「おかえりなさい、おつかれさま」 「ただいま」 少し遅れて出てきた郁は洗い物をしていたのだろう。エプロンで手を拭きながら夫を出迎える。 「荷物持つね」 「ああ、すまん」 下駄箱の横に隠れるようにして置かれていた鞄を郁が拾う。そうすれば礼と言わんばかりにチュっと唇を頬に寄せられ、「もうっ」とはにかみ笑う。 両親のそんな様子を見ていた有馬が「ゆーもゆーも」と郁に向かって両手を伸ばす。そんな息子に郁は「はいはい」と笑って頬を寄せる。 「ありがと」 むにっと唇を押し付けられた郁は楽しそうに笑う。お返しにチュっと返してやれば「いーく」と夫に呼ばれる。 期待に満ちた瞳に「もー」と笑いながら、郁はちゅっと篤の頬に唇を寄せる。 いつまで経っても熱の冷めない夫婦だ。 「ほら有馬。お父さん帰ってきたからお布団行こ?お父さんにおやすみなさいして」 両腕を差し出しながら言えば、有馬はヘニョリと眉尻を下げる。 そんな息子を腕に抱いていた篤は、仕方ないな、というように慈しみに満ちた笑みを浮かべる。 「有馬、今日はお父さんが絵本読んでやろうか」 「―――うん!!」 篤の言葉に有馬はパァッっと表情を輝かせる。 こんな所は本当に郁とそっくりだ、と愛妻に似た所を見る度に我が子への愛しさは一層増すというものだ。我が子だから、郁との子だからこそ何物にも替え難い宝物だ。 一泊の出張とは言え、寂しいものは寂しかったらしく、今日の有馬は父親に甘えたいらしい。 仕方ないわね、と郁は苦笑し、息子の寝かしつけは夫に任せることにした。 「ごめんね。出張帰りなのに」 しばらくして、リビングに戻ってきた夫を労い、食卓へ誘う。 「ご飯は?」 「軽くでいい」 ふわりと盛ったつやつやふっくらの甘く炊き上がったご飯と、ジャガイモとタマネギ、わかめの味噌汁に卵を落としたものを、茄子と油揚げの煮びたしを摘まみながらチビチビと熱燗を呑む篤の前に置く。 「おかず足りる?豚のケチャップソース煮も残ってるけど」 「いや、大丈夫だ」 軽く火が入り、トロリと甘みを増した卵の黄身をご飯の上に掬い落とす篤に郁は醤油を渡し、隣に座る。 「ああ、ありがとう」 空いた御猪口にトポリと日本酒が足される。 「プレゼント、ありがとね」 「ああ」 こっそりと持ち帰った紙袋の中に入ってるのは、赤を基調にした包装紙に包まれたオモチャだ。包装紙には金のシールとヒイラギ型の緑のシールが貼付されたクリスマス仕様となっている。 「しっかし、この時期のオモチャ屋はすごいな。新製品がズラリ、だぞ」 「まぁクリスマスだしねー」 クリスマス商戦に加わるのはオモチャ屋も同じだ。 子供向けのアニメや特撮モノはこの時期に新しいアイテムを怒涛の様に追加してきて、子供の目移りを激しくさせる。 クリスマス直前になって子供の欲しいものが変わって困る、と頭を抱える両親も多いと聞く。 堂上家はこれが初めて息子と迎える本格的なクリスマスで、そうした経験談は諸先輩から聞かされてきたが、「なるほどこれか」と体感している所だ。 「でも、ほっんと、子供の成長って早いね〜」 去年の今頃はまだほとんど喋れなかったが、今では随分と口も達者だ。 保育園に通い始めてからの成長は特に著しい。 クリスマスのイベントの意味自体はまだ分からないようだが、それでも何かステキに楽しいことだとは理解しているようだ。そうなると、親の力も入るというものだ。 「有馬喜んでくれるかな〜」 「喜ぶに決まってるだろ」 ふふ、っと楽しそうに笑う郁の頭を篤がクシャリと撫でる。 「でね、篤さん。お願いがあるの」 「ん?なんだ?」 何でも言ってみろ、と優しく笑う夫に「ちょっと待ってて」と郁が持って来たのは、一抱えする紙袋だった。 「じゃーん」 効果音付きで郁が取り出したのは、モコモコとした真っ赤な服だ。 「郁、それは―――」 「サンタ服!!」 篤の予想と違わぬ答えだ。 「ご飯の後ね、これ着て入ってきて欲しいの。 で、有馬にプレゼント渡してあげて」 「―――そこは普通に枕元に置いておけばいいんじゃないか?」 「えー。だめだよ。最初なんだからさ、ちゃんとサンタさんに会わせてあげようよー」 「だったら郁が着ればいいだろ」 「サンタさんはおじーさんなんだから」 ね、っと笑って篤はペチャっと篤の口元に白いひげをあてる。 「よろしくね、お父さん」 可愛く笑う郁には逆らえず、「分った」と篤は頷いた。 そうして迎えた初めてのクリスマスに有馬はパァっと顔を輝かせた。 銀ホイルに赤いリボンを巻いた今まで見たことない大きなチキンレッグの照り焼き。星型のニンジンが浮かぶクリームシチュー。シュワシュワと弾けるバラ色のシャンメリー。ツヤツヤと輝く真っ赤なイチゴがたっぷり飾られたホールケーキ。 「すごー!!」 「今日はクリスマスだからね。特別よ」 「くーすます、すごー!!」 キラキラとした顔を見せる我が子に、郁と篤は顔を見合わせて微笑み合う。 「メリークリスマス」 「ほら、有馬。誰もとらんからゆっくり食え。咽喉詰まらせるぞ」 顔の大きさ程もある大きなチキンにアグアグと夢中で被りつく息子に篤は苦笑する。 「こー食い意地張ってんのは郁似だな」 「ちょっと!もー、篤さんうるさい。 有馬、熱いからちゃんとフーフーして食べるのよ?」 ミルクの甘い香り漂うクリームシチューの入った皿を置かれて、有馬は口いっぱいにチキンを頬張った顔で、んぐんぐと頷く。 「もー。有馬、リスさんみたいな顔してー。口の回りもベタベタじゃない」 けれど布巾で顔を拭いながら注意する郁の表情も優しい。 時は優しく、穏やかに過ぎていく。 「あれ?おとーさんは?」 風呂上がりでホコホコとした空気を纏った有馬がコテンと首を傾げた。お風呂に入る前にリビングにあった父の姿がない。 「お父さんはちょっと用事があってお外に行ってるの」 「おしごと?」 「うん。でもすぐ戻ってくるよ」 自分の父が忙しいことを幼いながらに理解している有馬は「わかった」と言うようにコクンと力強く頷いた。 「おとーさんがいないあいだは、ゆーがおかーさんまもる!」 父と息子の間で交わされた男同士の熱い約束だ。 ドンと胸を叩き、フンス!と鼻息荒く意気込む息子に郁はクスクスと笑う。 「よろしくね、小さなナイトさん」 そうしていると、コンコンとリビングの扉が叩かれ「メリークリスマス」という言葉とともに扉が開いた。 現れたのは真っ赤な服を着て、フサフサの白い髭と眉毛をたくわえた老人。その肩には大きな白い袋がぶら下がっている。 「―――!!さんたぁっ?!」 「そう。サンタさんよ。有馬がいい子だからサンタさんがプレゼント持ってきてくれたみたい」 「ふおおっ!」 膝を折ったサンタが担いでいた袋を床におろし、中から赤い包みを取り出す。 「一年間いい子だった有馬にプレゼントだ」 立派な髭の下から聞こえるくぐもった声に有馬はウズウズとした顔で母を見る。 知らない人から物を貰ってはいけないと言われているからだろう。 「いいよ。ありがとうって貰っておいで」 母の許可に有馬はパっと顔を輝かせて、サンタに駆け寄りプレゼントを受け取る。 「さんたさん、ありがとー!!」 プレゼントを抱きとめ、満面の笑みを浮かべてお礼を言う有馬の頭がクシャリと撫でられる。 「中身は何かな〜?」 ニコニコとした笑みで郁が近づき、有馬の肩に手を置いてしゃがみ込み後ろから覗き込む。 ウキウキと包装を外した有馬の顔が輝く。中身は日曜朝の戦隊モノのヒーローのおもちゃの剣だ。 ブンブンと振りまわしてはしゃぐ息子の姿に郁は笑む。 「よかった」 そっと肩を抱き寄せられて、郁は一層笑んだ。 「ありがとう」 チュっと郁からサンタの頬にキスが贈られる。 「どうせなら口がいいな」 「わっ!ちょっ!」 腰を攫われ、郁は慌てる。 「ちょっ!待って!まだ!!」 グイグイと腕を伸ばして、圧し掛かる身体を押し返そうとするがビクともしない。くそぅ、この戦闘職種め! そう思っていると―――。 「―――った!」 「へ?」 突然、響いた呻きに郁は目を丸くする。 「おかーさんにげて!!」 「わっ!ちょ!有馬!!」 手に入れた武器で息子がサンタを攻撃してた。 「わるものめー!!」 「った!ちょっ!有馬やめっ!」 「てや〜ッ!!」 「わ〜!!有馬!有馬!お母さん大丈夫だから!!」 郁が必死になってサンタから息子を引き剥がし、夫にリビングから出るように促す。 それから。 「おとーさん!ゆー、さんたやっつけたよ!!おかーさんまもった!!」 「―――そ、そうか、偉かったな・・・」 どこか疲れた表情で現れた父親に、有馬はドヤ顔で武勇伝を語ったのだった。 「もー!篤さんのせいだからね!途中までイイ感じだったのにー」 「悪かったって」 「来年こそは!!」 グっと拳を固める郁は使命感に燃えていた。 「―――来年もするのか?」 「当たり前!」 ゲンナリとする夫に妻は力強く頷いた。 「今年もサンタさん来るかな〜?」 「こないよ!」 自信満々に言う息子に郁は「え?」と首を傾げる。 「有馬、いい子よ?」 「でも、サンタはいれない!!」 「え?」 その頃、堂上家の玄関前では一人のサンタが途方に暮れていた。 いつの間にか玄関にはドアチェーンが掛っていた。 幼いながらも父に似て賢い息子は父の不在を知り、戸締りをしっかりとしたのだった。 ―――同じ過ちは繰り返さない!! 有馬の中でクリスマスに家にやってくるサンタ=犯罪者と認識されたようだ。 以降、堂上家にサンタが来ることはなくなった。 |