朝の台所は少なくとも郁にとって戦いの場だ。
掃除や洗濯は寮生の時からやっていたので、たいして苦ではないのだが結婚して官舎に移ってから初めて着手したと言っていい食事の準備は手慣れず悪戦苦闘する日々が続いた。
今ではいくらか改善したが、それでも出勤前の朝食作りは時間との争いである。
ほとんどは手際の良い夫がちゃっちゃと片づけてしまうのだが、それがまた悔しかったりする。
今日は、公休日で時間に追われることはないのだが、急かす子供がいるので同じようなものだ。
「よし!」
と郁は一つ気合を入れて、腕まくりをした。









その日はとても晴れていて、だから台所がいつもより少し賑やかだった。








「―――郁?」
ふと目が覚めたら、隣に寝ていたはずの妻の姿がなく、篤は思わず周りを見渡した。
きょろきょろと周りを見渡すも、何も変わったことなどない。晴れた爽やかな朝だった。
それほど陽は高く昇っていない。ヘッドボードにある時計を確認したらまだ8時前だ。 いつもの公休日なら隣ではまだスヤスヤと健やかな寝息を立てながら郁が寝ているはずの時間だ。
そんなことを考えていたらカチャリと寝室のドアノブが回る音がする。
「あ、起きてた?おはようございます、篤さん」
じっと見つめる篤に郁が少し首を傾げる。
「どうかしました?」
「―――早いな、と思って」
「あ、篤さんもう少し寝たかったですか?」
昨日遅かったですもんね、とシュンとなる郁に、ベットから降りた篤がポンと頭を撫でる。
「そうじゃなくて、お前が。休みの日はまだ寝てる時間だろ」
その言葉に、ああと郁が小さく笑った。
「我が家の小さな王様の命令で」
「―――有馬?」
「ですよー。他に誰がいるって言うんですか」
篤さんは暴君だしーと笑う郁にオイコラと篤は突っ込むが、「おかーさーん」と呼ぶ堂上家の小さな王様こと息子有馬の声に「はいはい」と返事する郁は妻から母の顔に早変わりしていた。
「有馬は?」
「あっちです」
なんとなく悔しくなり、首に両腕を絡ませながら質問する篤に、郁は少し嬉しそうな顔をして台所を指差した。








寝室を出て、リビングのドアを開ければ台所で郁に似たやや癖のある毛をした黒色の頭がうろうろしている。
「・・・あいつ、何してんだ」
「昨日からお弁当もって散歩行くって聞かなくて。だから、おかずを詰めるのやってもらってるの」
「へー」
「おかげで今日は朝からお弁当作りですよ」
「言えばよかったのに」 「だから、昨日は篤さん遅かったじゃないですか。流石に悪いですよ」
「別に悪いことないだろ。俺は除け者か」
「やだ、拗ねないでくださいよ」
クスクスと笑う郁に、「可愛い奥さんに俺以外の男と秘密を持たれるのはつまらん」と篤も笑う。






笑う両親の声にか、ひょこひょこ動いていた小さな頭が振り返った。
笑みを堪えられないような嬉しそうな顔に、何となく篤はその頭を撫でてやりたくなった。
「あとーさん、おはよー」
パタパタと走り寄り、両手を差し出してきた息子を抱き上げる。
「おはよう。お弁当作ってるんだってな。上手に出来たか?」
「できたよー」
そうか、と頭を撫でてやれば、嬉しそうにニコニコとした笑みが返り、こういうところが郁にそっくりだと篤は思わず頬を緩ませる。





「有馬。出来たのお父さんに見せる?」
「だめ。あとで。おたのしみなの!」
「―――だって」
クスクス笑う郁に、なら仕方ないな、と態とらしく篤は肩をすくめて息子を下ろす。
それを見て「じゃあ、朝ごはんにしようか」と郁は台所に向かう。
その後を「てつだうー」と息子がパタパタと来た時と同じように小さな足で駆けていく。
その後ろ姿に郁のことが大好きなのは俺似だな、と篤は小さく笑う。
郁と有馬は和気藹々と台所に立っている。
郁がよそったご飯を有馬が小さなトレイに乗せ慎重な足取りで運んでくる。その後ろから穏やかな笑みを乗せた郁が運んできた味噌汁を篤が受け取り並べる。
ギンガムチェックのスクエアバスケットが載るテーブルの上はいつもより少し賑やかだ。
急須と湯呑みを持った郁と、一仕事やり切ったからか満足げな顔をした有馬が椅子によじ登って座るのはほぼ同時だった。
それから手を合わせて。





「「「いただきます」」」











さぁ。天気がいい今日はどこに行こうか。




どこへ行ってもそこで待っているのは幸せだけど。



















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