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俺の父さんは母さんの事が大好きだ。そりゃもう、めちゃくちゃ好きだ。 母さんの事が可愛くて可愛くて仕方がなくて。 甘やかしたくて甘やかしたくて仕方がなくて。 構いたくて構いたくて仕方がなくて。 「俺がいくつ年上だと思ってるんだ!」 というのが常套句な父さんではあるが、時々母さんの可愛さにつられ、つい「好きな子ほどイジメたい」なんていう子供っぽい面を見せる。 結果―――。 「篤さんのバカーっ!!」 うっすら涙を眸に溜めた母さんが衝動任せに家を飛び出すのもけっして珍しいことではない。 「―――!すまんっ!郁っ!言いすぎたっ!謝るからっ!ちょっと待て!!」 父さんが慌てて謝罪の言葉とともに腕を伸ばすも、そこは瞬発力がピカイチの母さんだ。 伸ばされた腕をスルリとかわし、あっという間に、駆け抜けていく。本当に一瞬の出来事だ。 茫然と母さんが走り去った方向を見詰める父さんの腕は虚しく伸びたまま。 しばらくして、「はー」と息を吐いた父さんがトボトボと食器棚の隣にある戸棚をあける。中に収めているのは酒だ。 そこから取り出したのは、以前の出張の際に父さんが手に入れた焼酎だ。製造元の地元ではそれなりに流通しているが、こちらではなかなか手に入らない代物らしい。 どうやら本日の魔女への貢物はそれらしい。 直情型の母さんが反射の様に飛び出して向かう先はほとんど決まっている。 溜息を吐いた父さんが携帯を取り出し、電話を掛ける。なかなか繋がらない電話に父さんがイライラとした表情を見せる。 しばらくして、ようやく電話がつながる。 「もしもし。柴崎か。うちの郁がそっちに行ってると思うんだが―――は?仕事?・・・そうか・・・。 もし郁がそっちに行ったら連絡をくれないか。ああ。悪い」 それを受け、今度は俺が携帯を取り出す。 「もしもし。麻陽?お前さ、今うち?あのさ、うちの母さんそっち行ってね?―――そっか。もし母さんが行ったら連絡くれ。―――あ?そういうことは腹ん中キレイにしてほざけよ、このタコ!」 とは言え、いや、まだ着いてないだけかも。 としばらく待ってみるも麻子さんからも麻陽からも母さんの所在を知らせる連絡は一向に入ってこない。 他の棟の手塚家だろうと、図書館だろうとウチとは隣接しているのでそうたいした距離はない。 ゆったりとしたペースでももうとっくに着いているはずだ。 時間が経つにつれて父さんの顔に目に見えて焦燥が現れる。 何度も母さんの携帯に連絡は入れているが一向に返答はない。 「―――ちょっと外見てくるよ」 「俺も行く」 「父さんは待ってて。もしかしたら入れ違いで母さんが戻ってくるかもしれないし」 着の身着のままで出ていった母さんは当然家の鍵なんかは持っていない。 「とりあえず、公園と駅周りまで見て戻ってくるから」 「―――頼む」 ここで父さんが出て行こうものなら、母さんが見つかるまで、それこそ一生帰って来そうにない。 財布も持っていないだろうから。あまり遠くへは行っていないだろう。―――体力および行動力のある母さんなのでそのあたりはあくまで希望止まりではあるが。 麻子さんの所や図書館でなければ、公園のブランコにポツンと座っているか、駅前の商店街をふらついていることがほとんどだ。 母さんが居そうなところを小走りに見て回るも、それらしい姿はない。 “分かりやすい”が特徴であるところの母さんにしてはなかなか珍しい事態だ。 溜息をつきつつ、自宅の玄関を開けると、中からガタゴトとすごい音を立てながら父さんが飛び出してくる。 「郁は?!」 首を振ると、父さんの顔は限りなく青褪めた。 「―――・・・警察」 「は?」 「警察。捜索願っ!」 「ちょ、落ち着いてよ父さん!」 「郁が!郁が居なくなったんだぞ! 何か事件や事故に巻き込まれたらどうする。 ―――誘拐なんてされてたら・・・!!」 母さんの暴走女王っぷりもなかなかのものだが、母さんが絡んだ時の父さんのマイナスループっぷりもかなりのものだ。自分の想像にますます父さんは余裕をなくしていく。 「・・・今度こそ、本気で愛想をつかされたのかもしれん」 「いやすぐ帰ってくるって!大丈夫だって!」 「―――実はもう、既に他に好きな奴がいて、そいつと駆け落ちなんてしてたら」 ―――誰とだよ! 日ごろ母さんからあれだけ「篤さん好き!だぁいすきっ!」とドストレートなラブ光線を浴びながら、それでもなお「俺の方が郁を好きだ愛してる!」と自負する父さんの母さんに対する不安は底がない。 「―――・・・郁」 顔を覆った父さんが力なく呟く。覇気もなければ精気もない。 我が家の夫婦喧嘩の多くが行きつくところは、どっちが悪い悪くないという以前にそもそも父さんが母さんに弱過ぎるということだ。 基本的に父さんは何でも出来る人ではあるが、母さんが居なくなったら耐え切れず死ぬ。割とガチで。 というか本人もそこは自認している。 「もし郁に何かあったら、俺はすぐ後を追うから。お前は今の内に自分の事は自分で出来る様になっておけ」 と言われて久しい俺だ。 家のパソコン内には既に遺産相続についてまとめたフォルダがあり、相続財産目録が定期的に更新されているあたり、うちの父さんの真面目っぷりもちょっと方向がおかしい。 ―――まぁ、婚約指環と引っ越し費用を同列に並べたてたらしい人なので、それくらいは許容範囲と言うかなんというか。 このまま行くと憔悴しきって父さんは死ぬんじゃないかとそろそろ本気で心配し始めた頃。 カチャリと玄関のドアノブが回る音がして。 「ただいま〜」 父さんとは反対に、明るさが突き抜けた母さんの声が響いた。 「ちょうど静佳さんに会って、お茶してきちゃった。お土産買ってきた、っていうか買ってもらったよー」 「おひさー。ちょっと郁ちゃん拉致っちゃった、ごめんねー兄貴」 ヒラっと手を振る叔母を無視して、父さんは母さんに突撃した。 いきなり飛びかかられて母さんは「ぎゃっ!」と驚きの声を上げつつ、呆気に取られ過ぎて父さんのなすがままにされている。 何かこういう光景どっかで見たことあるな、と思えばあれだ。帰ってきた飼い主に全力で飛びかかる犬だ。 マーキングするかのように父さんは母さんをぎゅうぎゅうと抱きしめる。 隣で腹を抱えている静佳ねえさんとか見えちゃいない。 「いきなり出ていくな!知らんとこ行くな!俺がどんだけ心配したと思ってる、このバカっ!」 「あー・・・えっと、ごめんなさい」 そんな感じで、今回の母さんの家出騒動も無事に幕を閉じたわけだが。 こんな(父さんの)九死に一生スペシャルみたいな大騒動を起こしておきながら、また日が経てば。 「篤さんのバカーっ!!」 「―――!すまんっ!郁っ!言いすぎたっ!謝るからっ!ちょっと待て!!」 同じことを繰り返すあたり、俺の両親は懲りると言うことを知らないと思う。 |