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こっち来い、と夫に連れられたのは寝室で、「何だろ?」とポヤっとしていた郁は、ポーンとベッドの上へと放り投げられた。 「へ」 全くもって察しの悪い嫁である。ポカーンとする郁の顔の横に手を突いた篤は、いっそ凶悪と言っていいほどの爽やかな笑みで見下ろした。 ギシっと負荷がかかかり沈み込むマットに郁はタラリ、と汗を流した。 ―――あれ?あたし、何かやらかした? 「あ、篤さん・・・?」 名を呼べば、いっそ怖いくらい清々しいニコリとした笑みが返り、郁は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。 「有馬ももう大きくなったから、抱きついたりキスしたりするのはよせ、っつったよな?」 ―――普通に見えていた夫が全力で怒ってました。 「聞き分けの悪いヤツにはお仕置きが必要だよな、郁?」 「ひっ―――ぴぎゃあっ!!」 母の悲鳴が聞こえた気がして、有馬は思わず官舎を振り仰いだ。 もっとも、今、母が悲鳴を上げるとしたら、上げさせているのは我が父に他ならない。踏み込めば大変居たたまれない結果になるだろう。 ―――まぁ、息子に嫉妬してる時点でどうかと思うけど。 それが有馬の父なので仕方ない。嫁ラブだ。 『母さんはお前の母親である以前に、俺の奥さんだからな!』 なんてことを何度言われたことか。息子に対してどれだけ牽制すれば気が済むのだ。―――済まないのだろう。 それだけ強い愛を受けているのに、キョトンとしている母さんはどれだけ天然無敵かと思う。 そういう無自覚鈍感な所も母さんの可愛いところだ。 嫉妬の鬼の愛を一身に受けながら、それでもなお驕ることなく無垢なままとか、マジ天使!! 父が父なら息子も息子だ。 「あ、もしもし朝陽か?お前、今暇か?暇なら出てこい。 あ?飯だよ飯。お前んとこの魔女のせいで追い出されたんだよ」 携帯を切り、しばらく待っていると「お待たせ」と軽やかな声がかかる。 「駅前のファミレスでいいよな」 「なんか一言ないの?!」 「なんだよ」 幼馴染の姿を確認して、そのままツカツカと歩き出した有馬にさっそく「待った」が掛る。 めんどくさそうに振り返った有馬の視線の先には、ぷっくりと頬を膨らませた美少女の姿があった。 「だからお前がやっても可愛くねぇっつーの。バカかお前?」 「全く、なんて物言いなのよ」 頬を戻してツンと澄まし顔で言う麻陽に、有馬は心底面倒くさそうな息を吐く。 「だから、なんだっつーんだよ。さっさ言え」 「待ち合わせに来た女の子よ?その格好可愛いな、とか、似合ってるな、とかなんとかないわけ?」 そんな麻陽の台詞に、有馬は巷で「王子様スマイル」と持て囃される微笑を浮かべて言った。 「ねぇわ」 最後はネットスラングで言うところの「草が生える」勢いだった。あまりの扱いに流石にヒクっと麻陽の頬が引き攣る。 「―――この貴重な私服姿の手塚麻陽様と出掛けるっていうのに」 それこそなんだと、有馬は鼻で笑う。 「ゆるTにレギンスやショーパンの部屋着すら知ってる幼馴染の私服の希少性とは。プゲラだなプゲラ。プゲラプゲラ」 「クッソッ!鼻で笑いおった!!」 「笑うだろ普通に。 はいはい褒めりゃいいんだろ褒めりゃ。 カワイイカワイイカワウィーネ〜」 「チャラウザイわッ!マジあんたムカツク!!」 「へーへー。ウザくて悪かったな。 ほら、さっさ行くぞ」 「へーへー」 何を言っても無駄だと息を吐いた麻陽もトトっと足を進めて有馬の隣に並ぶ。 有馬と麻陽が入ったのは、官舎からもさほど離れていない駅の近くにあるファミレスだ。 軍資金的にはまだランクが上の店にも十分は入れたが、子供二人となるとなんとなく具合が悪いこともあり、無難なところでの選択だ。 店内は高校生などの学生を始めちらほらと席が埋まっている。 適当な席に座り、テーブルに備え付けてあるメニューを広げ、一通り目を通したところで店員を呼ぶ。 「ミックスグリルの洋食セット、ライス大盛りで。あとチキングラタンにドリンクバー。あ、あとコブサラダ。 麻陽、お前は?」 「―――茄子と挽肉のボロネーゼにドリンクバー付けてください」 「んじゃ、それで」 パタン、とメニューを閉じて注文を終える。 注文の確認が終わるとメニューをラックに戻し、それぞれドリンクバーから飲み物を取ってきて、料理が来るのを待つ。 「―――あいっかわらず、食べるわね」 有馬の注文を思い返した麻陽が、呆れた様な声を出す。 「そうか?ウチじゃこんくらい普通だけどな」 「戦闘職種家系のエンゲル係数ェ・・・」 麻陽が呆れた様な感心するような声を上げたところで、「お待たせしました、コブサラダです」と店員がサラダを運んできた。それを受け取った有馬がテーブルの真ん中に置いたので、自由に食べていいということだろうと解して、麻陽もフォークを伸ばした。文句は出なかった。 そうしている内に次々に(といっても大半は有馬の注文だが)皿が運ばれてきた。 「いたっきます!」 ジュウジュウと音を立てる鉄板に有馬はさっそくナイフとフォークを突き立てる。大ぶりに切ったハンバーグをデミグラスソースにくぐらせ、ポンポンと数回白米の上に乗せ、口に運び数回咀嚼して飲み込んだ後ご飯を放り込む。男の子の食事風景だ。 ―――ほっんと、ウチとは違うわねぇ。 有馬の食事の仕方に麻陽は苦笑する。麻陽には3つ離れた弟がいるが、有馬とは違いどちらかというと内向的な大人しいタイプの少年ということもあってか、こんな風にガツガツと食べることはない。勿論家系柄、というのもあるだろう。堂上家と同じく父は戦闘職種であるが、いいとこのお坊ちゃんなこともあり、かきこむような食べ方はしないし、母もまた見え方を気にし、食事コントロールも完璧な人なのでまず有り得ない。かく言う麻陽も絵に描いたような「美少女」である。見え方見せ方については母親参照、という感じでありそうした食べ方はしようがなかった。 「お前、それで足りんの?肉分けてやろうか?」 「アンタと一緒にすんな」 クルクルとひと口大にパスタを巻き取っていた麻陽は顔を顰める。 トローリチーズたっぷり、という煽り文句に惹かれて注文したが、出てきたパスタは思った以上に具材もパスタもボリューミーだった。何よりたっぷりかかったモッツァレラチーズが入ったソースは濃厚で美味しいが、結構重い。 「むしろ加勢して」 自分が口に運ぶ倍以上の量のパスタを巻き取った麻陽は、それを有馬のライス皿の上に乗せる。2回。 「代わりにサラダちょうだい」 「あ、ちょ、おまっ!」 引き寄せられた皿に有馬は文句を見せるが、すぐに「ったく」と小さく溜息を吐いて、皿に乗ったパスタを口に運ぶ。すぐに「お、うまっ」と言葉が漏れる。 目玉焼きの乗ったハンバーグ、チキンソテー、ソーセージに大盛りライス、加えてチキングラタン、更に麻陽の頼んだパスタの半分近くを有馬はサラっと胃に納めた。 「麻陽、お前デザート何にする?」 「まだ食べんの?!」 「え?ヨユー」 食欲無尽蔵だ。 「コーヒーゼリーサンデーにすっかなー。あ、クリームあんみつも美味そうだな。―――両方頼むかな。 麻陽はどうする?何でも好きなの頼めよ」 「―――・・・ミニストロベリーヨーグルトパフェ」 「遠慮しねぇで、普通のサイズ頼みゃいーのに」 「遠慮じゃないし。アンタの胃袋と一緒にすんな!」 「お前ほっんと小食な」 「―――言っとくけど、あんたの『女の子』の基準普通じゃないからね」 有馬の中の「女の子」の基準は実母だ。「母さんより可愛い女なんて早々居ない。つか居ない!」というのが常日頃の有馬の弁だ。 近所や校内では「王子様(プリンス)」などと言われているが、大変残念なレベルのマザコンだ。と言うと速攻で訂正が入る。 「何言ってんだ、お前。俺は父さんも大好きだ!アイラブ我が家!」 と。 「母さんと父さんが居れば他に何も要らない!」と言い切る全力で残念なレベルでのファミコン王子様である。 「あ、そいや」 運ばれてきたパフェをチマチマつついていた麻陽が、顔を上げる。 「今日は何があったの?」 聞いてなかった、という麻陽に有馬が顔を顰める。 「もーマジ、お前んトコの魔女、どうにかしろよなー」 「何?ママがどうかしたの?」 「ハグチューされた」 「は?ママに?!」 「んだよその魔女の呪い!なわけあるか!」 思わず身を乗り出した麻陽の額を有馬がペチリと叩く。 「ちげぇよ、母さんだよ母さん。 何思ったか、父さんの前で思いっきり抱き締めてきて、ほっぺたチューかましてきた」 「―――待って。何でソレがママのせいなのよ」 「父さんは母さんに俺に対するハグチュー禁止令出してる!」 待て、その禁止令はなんだ。そこに疑問はないのか息子バカよ。 堂上父の妻に対する溺愛っぷりを知る麻陽も思わず半眼になる。息子に嫉妬ってどんだけよ! 「母さん素直だからさ、絶対魔女になんか焚き付けられた結果に決まってんだよ。 じゃなかったらそう簡単に母さんが父さんとの約束破るもんか!」 ブチブチとあんみつの白玉を突き刺して、有馬は忌々しげに言う。 家族の平穏第一の有馬にしてみれば、愛情表現だろうがなんだろうが、両親の間をひっかきまわす麻陽の母は美魔女どころか正真正銘「魔女」のような認識だ。 「―――って、あんたも美味しい思いしてんじゃない。郁ちゃんからのハグチュー」 「まぁ、・・・そうなんだけどな」 何を反芻しているのか、有馬の顔がデレっと崩れる。 「―――マザコン末期野郎」 ポソリ、と零した麻陽の言葉に有馬は満面の笑みで応えた。 「おう!上等!つか、正確にはファミコンだけどな!」 真実偽りない笑みを浮かべる有馬に、麻陽は深々と溜息を吐いた。 |