涙さえ奪って

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9、海列車


 ンマー、長い年月だったな。
 幾度となく失敗と成功を繰り返し、挫折を味わい、苦悩を喜びに変える試行錯誤の日々だった。
 海列車製作開始から、十年たった。
 俺たちは、「海列車、パッフィング・トム」を完成させた。

 町中が見守る中、パドルが線路をつかみ、力強く走り出す。

 閉ざされ廃れてゆく町から悩まされる人々を乗せて
 ”海列車”パッフィング・トムは、海を渡った。

 やり遂げた。俺たちは、やり遂げたんだ。ンマー、情けねェが涙がとまらねェな。俺が費やした十年は、無駄じゃなかった。偉大な業績を成し遂げたトムさんの弟子でよかった。歴史の一ページに名を残すことを、いったいどれだけの人間ができるっていうんだ。星屑ほどの人の中でトムさんに出会えた幸運を、どんだけかみしめたかわからねェ。
 色んな思いがぐちゃぐちゃになって、涙はとまらねェ。俺はどうも心が震えると泣くくちらしいなァ。フランキーみてェに笑うことだってできるのにな、俺の涙腺は弱ェもんだ。


 海列車完成を祝う人たちの波の中に、エリノアさんとがいた。大輪の深紅バラのようなエリノアさん。エリノアさんによく似てきたもまたバラのようだった。
 淡いピンクのバラだ。極々薄いピンク色、白にも見えるかもしれねェほど薄いピンク、小さな房咲きのバラがには似合う。
 ほころびかけた花は、大輪のバラの陰でもな、俺を惹きつけて仕方ねェな。
 フランキーのバカに気づかれないうちに、俺はの手をとり、その場を抜け出した。
 ンマー、バカみてェに涙をぬぐう俺に、気を使ったんだろう。は、黙ってついてきた。


 何もかもが、たまらなかった。小さな喜びはいくつでもあったが、海列車が走り出した瞬間が俺の人生の中で最高の時だった。

 横に座る愛しい女を抱きしめないでいられねェ。俺を気遣うようにみつめるの瞳に、俺の泣き顔が映る。みっともねェツラだな。
 高ぶった感情は抑えがきかねェってもんだ。そのまま、深くキスをおとす。今までみてェな軽いもんじゃなく、口角を変え、の口びるを開かせて。
 ンマー、まずい! と思ったときには遅かった。俺の意思に反して、舌は正直にを求める。かちこちに固まったの体は、まだフランキーとこんなキスをしていないことを物語っていた。
 ンマー、素直に嬉しいってもんだ。そんな俺のわがままなキスを受け入れるの初々しさが、俺を更に調子に乗らせる。おずおずとの舌が俺を求めるようになるまで、たっぷり、楽しませてもらった。

 ンマー、しかし、なんでだ。なんで、はフランキーとつきあっているくせに、俺のキスを受け入れる。わからねェから、なおさら俺の気持ちなんか言えねェだろ。俺は大人でずるいからな。あふっと色っぽい喘ぎ声が出るまで、攻め立てた。

「ンマー、。今日は海列車の記念日だ。嬉しくって仕方ねェ俺に、お前から、もっと大人のキスをしてくれねェか」
 こくんとうなづくが、俺にキスのお返しをしてくる。ンマー、なんてこった。教師がいいのか、十五の小娘が俺を喘がせるキスをするなんてよ。俺はほのかに期待した。俺の手が自然にの胸にかかったって仕方ねェ。きゅっと小ぶりな胸を握った途端

「っあ、アイシュ〜ラメェ〜」
 喘ぎながら、こぼれた言葉は、俺を即座に現実に戻した。冷水を浴びたような気がした。なんでここで、アイシュと呼ぶんだよ。ンマー、萎えた。頭が一瞬で冴えた。そうだった、バカンキーは、まだ、ふられてなかったな。泣かしちまうとこだった。

「ンマー、すまねェ。つい、度が過ぎちまたなァ。後は、フランキーに教えてもらえ」
 ンマー、ぶん殴られた。バコーンッと頬をグーで殴られた。普通は平手じゃねェか? この場合はよ。
 は手をグーにしたまま、眼がうるうるしてきた。まずい状況だな。

「ンマー、痛ェな。普通グーで殴るか? 」
 って言ったら、もういっぱつ喰らった。

「もう、アイスバーグなんか、きらい! 」
 ンマー、大打撃だ。頬も痛ェが、心がもっと痛ェよ。

 そりゃ怒るだろうな。とうさまみたいから兄貴みてェに慕ってきた俺が、狼になっちまったんだからな。
 ンマー、焦った。俺は、大いに焦った。今にもこぼれそうな涙が……。ンマー泣くな。泣くんじゃねェ。俺は、お前が泣くのが一番こたえるんだからな。俺が悪いが泣くな。

 ンマー、それでも、かっこつけたい男なんだな、俺は。

「ンマー、そう怒るな。もう二度としねェからな」
 今度は腹に喰らった。フランキーのヤツ、何をに教えてんだよ。油断した俺も俺だが、半端ねェほど的確に急所を狙われた。
 ンマー、息ができねェ。
 毎日、俺に『今日も色々仕込んじまった。は、覚えが早ェから、スーパー楽しいぜ』って、あれはこれか、俺が散々嫉妬しまくった仕込みの数々は、体術だったのかよ。

 げほげほ咳き込んで、の顔をみたら、泣いていた。声もださねェで。滝のような涙が頬を滴り落ちる。

 ンマー、結局、泣かせてしまった。子どもの頃みてェに、大声で泣かれるほうが、ましってもんだ。
 子どもだったを無理やりこんな感情を押し込めた泣き方をするようにしちまったのは、間違いなく俺だった。

 手を伸ばせば、届く距離にいるはずのが遠かった。は、俺に何も言わずに背を向けた。

 ンマー、ちくしょう! 俺はバカだ。
 なんで待たなかった! の成長を。
 フランキーがふられるのを、なんで俺は待てなかった……。





 そして、この日から、が俺のところにくることは無くなったなァ。


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