できることなら、昨日のことは夢として片付けてしまいたかったのに。
再び自分の身に降りかかった、非現実のような現実。
カーテンの開け放たれた医務室の窓から、午前中の明るい光が射し込んで、昨夜よりもはっきりと俺の姿を認識させた。
ふと部屋の隅にある大きな姿見が視界に入った。ベッドの上にいたのは・・・不安で眼を潤ませた少女。
白い肌。肩まで伸びたやや色素の薄い髪。
体は一回りは縮み、だぶだぶの白いパーカーの襟首から、華奢な首と鎖骨がのぞいていた。
その一方で、まるで女性であることを強調するかのように、豊かなふくらみがパーカーの布地を押し上げていた。
うわ・・・どう見ても女だ、俺・・・。
二度目だからといって、ショックが小さくなっているわけがなかった。
むしろそれを人に見られたことが情けなくて、ひどい恥ずかしさのようなものを感じていた。
「あの、えと、どうして先輩がいきなり女の子に??」
ただ一人の目撃者が、混乱した様子で俺を見た。
「さっきの・・・薬だよ」
うわ、声高ぇ。
「そんな・・・じゃあ私のせいで―?」
「いや、そうじゃないよ。昨日も同じようなことがあったんだ。たぶん、ついさっきの薬がすぐ効いたわけじゃないさ。
それに・・・桐嶋は知らなかったんだし」
妙にかわいらしい声が出てしまうのが嫌で、俺はうつむいてぼそぼそと話した。
それでも、突然の出来事にあたふたしている後輩を見ていると、逆にいくらか落ち着いてくるようだった。
「信じられない・・・こんなことって・・・」
ずい、と桐嶋が顔を近づけてくる。俺だって信じられない。ぶっちゃけありえなーい、なんて生ぬるいもんじゃないのだ。
「でも不思議・・・女の子になっても、ちゃんと先輩の面影は残ってるんだね・・・」
まるで俺がそこにいることを確かめるかのように、彼女は手を伸ばして顔に触れてきた。
ぺたぺた。ぷにぷに。ぺたぺたぷにぷに。・・・・・・おい。
むに。
「ひゃっ!?」
突然胸を鷲掴みにされて、変な声が出てしまった。
「・・・本物だ」
「触って確かめなくていいっ!!」
「ご、ごめんなさい・・・」
思わず胸を押さえて涙目で抗議する俺を見て、桐嶋は謝りながらもようやく表情を和らげた。
「と、とにかく、医務の先生呼んできます。一度診てもらわないと・・・」
「ちょ、ちょっと待って。そんなことしなくていいからっ!」
こんな姿を、他の人間に見られることだけは避けたかった。噂が広まれば、もう大学には来られない。
「でもこのままっていうわけにも・・・」

そのときだった。がちゃっ、とドアノブを回す音が聞こえた。ドアの擦りガラスごしに、人影が見える。
瞬間、俺は凍りついた。まずい、先生が戻ってきた・・・!?
入ってきたのは、白衣を身に着けた長身の男だった。見た感じ三十前半といったところか。
男は部屋の中の二人を見て、一瞬ぎょっとしたような様子を見せたが、すぐににこりと笑って口を開いた。
「どうしました? 貧血ですか?」
どうやら彼が医務の先生らしい。男の言葉に、頭がようやく冷静に回転しはじめる。俺はどう答えるべきか逡巡している桐嶋に目配せした。
「あ、は、はい。急に倒れてしまって・・・」
グッジョブ、桐嶋。
落ち着いて考えてみれば、はたから見れば今の俺は単なる女子学生。
女性のふりをしていれば、ひとまず怪しまれることはないだろう。
あとはどう取り繕ってここを出るかだな・・・。
「わかった。落ち着くまでそこで休んでいくといいでしょう。・・・ところで、君は講義があってるんじゃないかい。
あとは私に任せて、講義棟にもどりなさい」
そういうと、彼は桐嶋を部屋の外へ押し出した。
「えっ、あの、でも・・・」
心配そうに俺の方を見ながら、桐嶋は渋々部屋を出て行った。
彼女が医務室の前から離れたのを確かめると、何を思ったか男は内側からドアに鍵を掛けた。
「!?」
唖然とする俺を尻目に、続いてカーテンが閉められる。こいつ、何をする気だ。

男が俺の方に向き直ったとき、その顔からさっきまでの人当たりのよさそうな雰囲気は消えていた。
「女になった気分はどうだい、八柳ひろみ君?」
「な・・・」
「あはは、驚いてるみたいだね。まあ無理もないか。昨日までの君とはまるで違う身体になってしまったんだから」
男は相手の反応を楽しむように、にやにやと薄笑いを浮かべて俺をみた。
「あんた・・・誰だ!?」
「私かい? 君が飲んだ薬の開発者の一人さ。篠河という。よろしく」
それを聞いた瞬間、俺はベッドから跳び下りた。逃げろ。俺の本能がそう叫んでいた。
「う・・・」
けれどベッドから数歩も歩かないうちに、俺は平衡感覚を失って無様に倒れこんだ。
「おっと・・・。まだ回復していないんだ、そんなに慌てることはない。それに、話だけでも聞いておいて損はないと思うけど?」
篠河と名乗った男はそう言いながら俺を抱きとめると、ベッドに押し戻した。


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