どうしようもなく浮いていた。
それもそうだ。通常体育は男子と女子で分かれている。
一緒に運動するのは体育祭か校内のマラソン大会のときくらいで例外は一切ない。ないはずだけど──今はあった。
大勢の男子の中に女子がひとりだけポツンといるのは、自動販売機でジュースに混じって並ぶブロックタイプのカロリーメイトと同じくらいに異質だ。
丸の中に四角があれば目立ちもする。
さっきからずっと視線を感じていた。視線が物質化するなら、たぶんぼくの全身は矢印だらけになってる。全方位からの人の目はなんというか……居心地が悪 い。
「各自準備体操!」
そんな状態であっても、一顧だにしない鬼頭先生はある意味すごい。……価値が無いことに変わりがないと思っているからかもしれないけど。
「じゃあ持ち上げるぞ」
いつも通りに二人組での柔軟。手首を掴まれ、胸反らし。胸が大きくなったとはいえ、今回は先端がこすれたりはしない。
そういう意味でブラジャーは偉大だ。ファッションや矯正のためだけにあるのではないと実感する。
それにしても、この柔軟はやっぱり気持ち良──
「やめろやめろ! なんだお前ら、やる気あんのか!?」
いい気分になっていたところに突然怒声が飛んできた。ジャイアンヴォイスは今日も健在だ。
でも、準備運動はみんな黙って静かにやっていたはず。何が逆鱗に触れたのだろう。
「女のほうばっかり見てんじゃねえ!」
その『女』が指し示すのがぼくだと思い当たって、周囲を見回すとぼくの視線とぶつかる直前くらいに急いで顔を逸らされた。見た範囲で9割くらい。
……珍しさは授業の妨害にしかならないようだ。
「半田ぁ!」
「は、はいっ!」
突然の矛先の転換に、思わず身体が強張る。武器も持たずこんなに威圧できるのは、もしかしてメデューサの血でも引いているからかもしれない。
「お前がいると授業にならん。女子のところへ行け!」
「──え?」
「早く行け!」
問い返す間もなく、ジャイアンヴォイスに押し出される形でグラウンドから追い出される。
本当にそうしていいものかどうかまだ迷っていたので、後ろを振り向きながらゆっくりと走る。
グラウンドの中央では「そんなぁ」とか「目の保養に」とか、かなり本気そうな不満の声があがっていた。
「お前らたるみ過ぎだ! 全員グラウンド20周!」
そんな不平も鬼頭先生の一喝で跡形もなく消し飛んだ。これでなお反抗する人がいたら、生きた伝説もしくは勇者もしくは英雄になれることは間違いない。
とはいえ、『英雄がいない時代は不幸だが、英雄が必要な時代はもっと不幸だ』──この授業ではどちらにしても不幸からは逃れられないようだった。

女子の体育は体育館でやることが多い。理由は簡単、鬼頭先生がグラウンドを占有しているからだ。
体育館に近づくにつれ、ゴムと床とが擦れる音が大きくなる。幾度となくボールが重くバウンドする音も聞こえたので、どうやらバスケをやっているようだ。
体育館の側面、渡り廊下校舎側の入り口からそろそろと扉を開ける。予想通り、2面あるコートで計20人が走り回っていた。
「あの……、鬼頭先生にこっちにくるように言われたんですけど」
入り口近くに立っていた女性教諭におずおずと声をかける。
「ん? 見ない顔ね」
ぼくに気づき向き直る。確か今年新卒で入ってきた六条茜(ろくじょうあかね)先生だ。
活発さと爽やかさとフレッシュさと可愛い系の顔を併せ持つことからポスト嘉神との呼び名も高い──とは明の言で、ぼくは至近距離で見るのはこれが初めて だ。
確かに、ショートヘアがよく似合っていて、いかにも爽やかで活発そうな感じがする。
「B組の半田です」
「半田? もしかして、あの?」
「たぶん、その半田です。鬼頭先生にこっちに来るよう言われまして」
「まあそうだろうね。おおかた邪魔だって言われたんでしょ」
ずいぶんとハッキリものを言う人だ。怖いもの知らずというか、相手が誰であっても物怖じしそうにない。たとえあの鬼頭先生であっても。…勝手なイメージだ けど。
「それで、ぼくは何をすれば……?」
「うーん、そうね。今は見た通りゲームをやってるんだけど……。適当にどこかのチームに入って参加してもらえればいいわ」
「それだけですか?」
「うん、それだけ。ホントは自己紹介でもやってもらいたんだけどね。でももうみんな知ってるだろうし、まあいいわよね」
情報修正。この人は大雑把なだけだ。
ほとんどのことを「まあいいか」で済まし、1ドルは常に100円で、オマージュとかインスパイアとかリスペクトをパクリで一括りしてしまうような。
何故わかるかといえば、似たような雰囲気の人を知っているからだ。ちなみにその人は今グラウンド走っている名前に「あ」がつく。
で、適当、と言われてどこに行けばいいのか。
やっぱり見知った顔のところかと、その人がいるチームへ向かう。
それにしても見慣れない光景だ。下着売り場のときみたいに眩暈さえする。
女子ばかりが集団で運動している姿なんかお目にかかったことがないから当然だけど、新鮮味がありすぎて、現実感が薄い。
高い声だけしか聞こえないのもその一因だ。
……ちょっと目のやり場に困る。
「あ、陽くん。どうしてここに?」
体育館を壁沿いに半周して目的地に到着する。見知った顔で話しかけられるようんま人といえば、単ちゃんしか思い当たらない。
「ちょっと追い出されちゃって…」
鬼頭先生の横ぼ……ワンマンぶりは有名だ。説明しなくても単ちゃんは理解してくれたようだった。話が早くて助かる。
「で、ここの先生にゲームに参加しろってことなんだけど、負けたらグラウンド10周とかないよね?」
「ホントに男子ってそんなことさせられてたんだ…。安心して、そんなのはないから」
ほっと胸をなでおろす。
「ねえねえ半田くん、その体操着はどうしたの?」
試合を目で追っていると、隣に座っていた女子に話しかけられた。見たことのない顔なので、たぶん違うクラスの人だ。
「これ? これは母さんが勝手に入れてたみたいで……。それより、なんでぼくの名前を知ってるの?」
「そりゃ有名人だもん。学校で知らない人はいないんじゃない? 困った顔した半田くんの写メ、携帯に持ってるよ」
「そ、そうなんだ…」
つられてぼくも笑う。笑えないけど、笑う。写真週刊誌に撮られた人もこんな気分なのだろうか。
「そういえば知ってる? 保健の嘉神先生のこと」
「嘉神先生?」
「そう。男子は知らないみたいだけど、あの先生レズなんだって。気に入ったコを見つけると見境なく保健室に連れ込んでるってウワサ」
「へ、へぇー、そんなことが……」
そのウワサが本当で、しかも手を出された後とは言えるわけがない。
「半田くんカワイイから、気をつけたほうがいいよ」
もう遅いです。
「それからこの話は男子にはナイショね」
ぼくも男子なんだけど……。
「それから、女子だけのウワサがまだあるんだけどぉ…。その人が一番美しい時に殺しに来るっていう不気味な泡──」
「そっ、それより、いいの? こんなにおしゃべりしてて」
このまま女子の世界に踏み込んで戻れなくなるのもイヤだったので、話を逸らすことにする。
鬼頭先生の体育では私語は厳禁だった。雑談するのを見られた日には、恐ろしいことになる。
「いいんじゃないの? 先生も注意しないし、1年のときからずっとこんなだよ。ほらみんなそうだし」
周りでは試合そっちのけで雑談に興じている。肝心のゲームのほうも、別段勝ちにこだわってやっているようには見えない。
何もかもが違う。地獄に対しての天国、バブルスライムに対するはぐれメタルほどの格差がある。当然こっちは天国ではぐれメタルだ。

──ピーーーッ!

「はーい、こうたーい!」
六条先生の、ジャイアンヴォイスとは対極にある澄んだ声が体育館に響く。
交代? どういうことだろう。
「はい陽くん、これ」
単ちゃんから手渡されたのは赤色のゼッケン。
「もしかして、ぼくも出るの?」
「当たり前じゃない。参加しろって言われたんでしょ?」
背中を押されコートに連れ出され、センターラインを挟んで相手チームと相対する。
(うう、居心地が悪い……)
体格や背格好が同じとはいえ、女子の中に男子がいるという感覚でいるので居た堪れない。
「相手チームにはバスケ部員がいるんだって。陽くん、期待してるよ」
『元・男の半田ならきっとなんとかしてくれる』と思っているのだろう、チームメイトからの期待の混じった視線がぼくに集まる。
奇しくもゼッケンに描かれていた数字は7だった。
とはいうものの、体力も力も男のときほどにはないし、相手はその道のプロ(ぼくから見れば)──勝てる要素がひとつもない。
「はーい、はじめー!」
ホイッスルとともに、負け試合が始まった。

精も根も尽き果て、ぼくは体育館を出る。
「まさか本気でやってくるなんて……」
試合の結果は、やっぱり本職の人には勝てず、ダブルスコアの大差での負け。完全な負け。
正直ずるいと思う。どうやったところで素人が勝てるわけがないというのに。多人数でやるサッカーでさえ多賀君は活躍していた。
人数が少なく個人技でどうにかなるバスケならなおさらだ。
大人気なく全力を尽くして狩りにきたライオンを相手にして、ウサギのぼくに『なぜベストを尽くさないのか』的な期待をするのは酷いとしかいいようがない。
ウサギにできることといえば、ライオンに全力を尽くさせるくらいしかないのに。
「どこ行くの?」
とぼとぼと足取りも重く教室に戻ろうとしているところで、単ちゃんに呼び止められた。
「教室だけど?」
「何しに?」
「着替えに、だけど」
「まさか体操着に着替えるとき、男子と一緒だったの!?」
「別に気にしてないし、いいよ」
多少誇張はあったけど、明日起きたら忘れている程度のことだ。そんなぼくの答えに単ちゃんは急に怒り出した。
「ダメよ! 陽くんは女の子なんだから、ちゃんと更衣室で着替えないと!」
「こ、更衣室で……?」
一瞬耳を疑った。この学校には更衣室は通常ひとつしか存在しない。女子更衣室だけだ。
だから更衣室で着替えるということは、そこで着替えることに他ならない。
「でも、たぶんみんな許してくれないよ。それに制服は教室にあるし、教室がダメでもトイレがあるから」
姿は女とはいえ元々は男だったのだ。そんなのを入れるほど女子は甘くはないはず。
女子更衣室ハ神聖ニシテ侵スベカラズ──それに、この一文がたぶん憲法の条文のどこかに紛れ込んでいる。
だから、
「あっさり許可がでたのも何かの間違いじゃない?」
返ってきた答えは、入室許可。おかしい。金属探知機ゲートのない空港くらいにおかしい。
でも、許可が下りたからといって、堂々と更衣室に入れるほどの度胸はない。まだ男子に混じって着替えたほうがマシに思える。
「でも、制服が教室に──」
「飛鳥ちゃんが取りにいってくれるんだって。陸上の短距離選手だから早いよ」
そう言い終わるより早く誰かがぼくの横を猛スピードで走り抜けていった。あれが飛鳥ちゃんなのだろうか。というか、さっき話していた人だった。
まもなく、素晴らしい速さで戻ってきた。手には紛れもなくぼくの体操着入れと制服一式。
「はい、どうぞ」
「ありがと…」
渡されるということは、断る理由がないのと同じだった。
今期の通知表には「もっと主体性を持ちましょう」と書かれることになりそう……。


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