燃え盛る炎、崩れていく家屋、巻き上がる火の粉。
戦火に巻き込まれ、燃えていく。
ただ静かに彼はそこにいた。燃え盛り火の粉の舞う中、ただ炎に染まった辺りを眺めていた。
煤で汚れ炎に映されて赤い頬、長く艶やかな髪。四肢は力なく投げ出され、包まれてはいるが、まだそこに火が届いてはいない。だがそれも時間の問題だろう。
視線が、ゆっくりと動く。炎の熱さにか玉のような汗が額に浮かび、鼻梁を通って顎へと滑り落ちた。
「そのままでは燃え尽きるぞ」
「そうでしょうね」
問いかけに、男は炎に焼かれかすれた声で、だがしっかりと答えた。眉を顰めることも、ガラガラと家屋が炎に焼け崩れていく音にも無反応にじっと視線を向けてくる。
ただ、視線だけがしっかりとしていた。
「逃げないのか」
「……足に力が入りませんし、生き残ってもこの足では土をいじることも出来ないかもしれません」
確かに膝は赤く染まっていた。崩れた木片が抉ったのだろうか、すぐ側で血に染まった木片が転がっている。酷い傷だ。
膝の下は赤く粘ついた液体で満たされている。
「生きたくはないのか」
「さぁ…どうなのでしょう」
問答に、男はついと視線をそらし燃え盛る炎へと視線を投じた。気力の無い、ただ傍観するだけの冷めた視線。
「ただ……私だけが生き延びては、皆に申し訳ないと思うのです」
呟いてから、瞼を閉じて息を吐いた。轟々と燃え盛る炎、軋む木々の音、悲鳴も聞こえぬほどに、それ以外は静寂だ。
口調は、丁寧で物腰の柔らかさが伺えたがやはり気力のないものだった。言い回しも喋り方も、学のないものではない。
「学はおありなのか?」
「……えぇ。一応、来春には書士として働くつもりでしたから」
一応はね、と初めて微笑みずっと下ろしていた腕を胸に当てる。
残ったのはものを書く腕と物を見る目と頭だけ。喋る事も出来ますけど、この声じゃねぇ、と苦く笑う。
「動けないのでは役立たずでしょうし、……働き口も見つけられるかどうか」
くっと口元を歪め、それからふぅと息を吐く。
「……出来れば、私を殺してください」
私はもう一つも動けない。生き残っても、一人では長く生きられない。
「今のまま、炎に巻かれるのを待つのは辛いのです」
「……」
無言で馬から下りた男に、不意に腕を捕まれ抱き上げられる。
「…、何を……」
肩に担がれ、男は驚いたように目を見開いた。
「生きろ」
「……無理ですよ」
何を言っているんですかと男は苦笑した。
「身寄りも無い、足も動かない、手持ちの金もない。それでどうやって生きろというんですか」
担ぎあげた男は静かにだが素早く馬上に乗り上げた。
「離して…降ろして下さい」
頑なに嘆く男を腕の間に横抱きに置き、手綱を握り締める。ヒヒンと一つ馬が嘶き、前足を持ち上げた。状態がぐらつき、男が図らずも腕に縋り付いてきた。腕の強さは、武将の比ではないが生きている。まだちゃんと動く、生きた人の力。
胸に当たる男の顔は、とても複雑そうな顔をしていたが見なかったことにした。
「私の所に来い」
男が息を詰めて戦縫を握り締める。きつく眉根が寄せられ、唇を噛み締める。
視線の先には燃え落ちた家々の残骸。未だに炎は燃え上がり、全てを飲み込んでいく。
「……私は何も出来ませんよ」
「出来なくても、生きられるのを無下にするよりはいい。」
「―――…」
何人も、何度も見てきた。戦渦に巻かれ逃げ惑い手を貸すまもなく倒れていく民達を。死を多く見ているからこそ死ぬことを許さない。否、許したくないのだと。
「我が殿ならば、きっと貴方を喜んで迎えるはずだ」
「……殿?」
「………劉備元徳、その人です」
「…ッ!?」
男の顔が驚きに見開かれる。狼狽したように腕を動かし身を起こそうとするのを押し留める。今下手に身動きされれば落馬しかねない。
苦く笑って、身を起こそうとするのを手助けしてやれば、すみません、と謝ってきた。
「……そなたの名は?」
「……、。字をと申します…」
一回りも大きな男を見上げ、はかすれた声で名を告げた。馬の走る速度に、体が揺れる。
「か。私は趙雲子龍だ」
「趙雲……貴方が」
「知っていたのか」
「いえ……風の噂に聞いただけですけれど。何でも、全身が肝で出来ているんじゃないかと言うほどに豪胆な方だとか」
またぎゅうと馬から振り落とされないように趙雲にすがりつかれた。呟いたを抱えて、苦笑したような趙雲の声が響く。
馬の蹄の音はどこまでも軽やかに響いている。逆風にの乱れた髪が風に揺れる。湿気を含んだ空気が頬を撫で、景色が背後へと流れていくのを、は趙雲に縋りながら眺めていた。
先ほどまでの炎の赤が嘘のように消えていく。空は雨を催促するように、徐々に雲の厚さを増させていた。
「……生きているのは辛いか?」
趙雲の言葉に、少しだけ間を置いて首を振る。
「…いいえ…。辛いよりも、今は苦しいです」
炎の渦巻く中にいても燃えることのなかった体。まるで取り残されたように、ただ独り座り込み燃え盛る炎を眺めて。
馬の走るリズムが心地よく、は炎の熱ですっかり乾ききった目をとじた。
「生きても、いいんですか。………貴方の、劉備殿の所で」
貴方のために、誰かのために何も出来ないけれど。
貴方を煩わせることしかできないけれど。それでも……。
呟きに、趙雲はただ笑って頷いた。
****言い訳
武将とか文官でなくって、そこらの路傍の石ならどうだろうかという当て推論。
結果、続きを書くのは難しいぞという結論に...(ぁ