浄土真宗親鸞会の方で、ハンドルネーム「大悲の願船」さんという方が、ネット上で尊い言葉を残しておられます。それが埋もれてしまうことを嘆き、ここに言葉集としてまとめさせていただきました。
みなさん、私は親鸞会で聞法する者でございます。このような場ではございますか、是非とも私の心の内を聞いていただきたく、書き込みさせて頂きます。
阿弥陀仏の御本願、まことでありました。
親鸞聖人の教えられた大悲の願船まことでありました。
みなさん、まだまだ命があると思っていては駄目です。この先、いつまで生きておれますか。もう自分は死んでしまうんだと思って、真剣に聴聞しなければ、この大船に乗せていただくことはできません。
ああ、何と不思議なことでしょう。今生からこんな幸せの身にさせていただき、うれしくてうれしくて、喜ばしくてなりません。往生極楽間違いありません。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
お念仏を称えて参らせて頂くのは、阿弥陀仏の浄土、み仏のお国です。間違いなく、浄土で仏の身にうまれさせていただけます。
この慶び、言っても言っても、書いても書いても、尽きることはありません。
ああ、どうかみなさん、親鸞聖人のみ教えを、真剣に聞いてください。高森先生のご説法を、ド真剣に聞いてください。聴聞の道以外にはありません。
どうか、どうかお願いです。この道間違えてはなりません。どうか真剣に求めて下さい。
合掌
みなさん、どうか参らせて頂きましょう阿弥陀仏のお浄土へ。この道を間違えたら、とても如来の願船に乗せて頂けません。娑婆で苦しむ姿は見ておれません。どうか、一日も一時間でも早く、真の信心を頂きましょう。必ず必ず頂けます。
いつまでも生きておれると思っていてはダメです。一時も早く、聞法させて頂きましょう。弥陀のよび声を聞かせて頂きましょう。みなさんが知らなくても、みなさんの心は奥の奥まですべてお見抜きです。お見抜きの阿弥陀さまです。
みなさん、どうかお願いです。聞いてください。親鸞聖人のみ教えを、真剣に聞いてください。
どうかみなさん、早く仏法に目をさまして、早く早く真の信心を頂きましょう。阿弥陀仏のお慈悲を頂きましょう。
阿弥陀さまは、罪を造りと造る私たちを、最も第一の正客だと、本願をたてておられます。五逆法謗の罪を重ねた私であっても、そのまま救ってやるぞと阿弥陀さまはお約束されていますから。
それを知識で聞いていてはいけません。阿弥陀さまのお慈悲が、心の中に入って下さいます。私の心の中に入ってきて下さいます。南無阿弥陀仏。万徳の宝をまるもらい。
あとは御恩報謝のお念仏です。どうか、この身にみなさんさせて頂きましょう。
真剣に聞かせて頂きましょう。どうかどうか、高森先生のご説法を、ド真剣に聞かせていただきましょう。必ず必ず頂けます。
私のような者が「有り難い話」などできようものではありませんが、心の中に咲く信心の大花を、どうぞ語らせて下さい。
その日その日の暮らしの中で、仏法の話があれば、阿弥陀さまのお慈悲を有り難く思い出しては、ああ心の中から南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお念仏が吹き上がります。御恩報謝の南無阿弥陀仏。後生の不安はツユチリございません。
私の命が終われば、そのまま阿弥陀さまの浄土です。仏さまに護られる幸せものであります。大安心大満足とはこのことでした。有り難うございました。有り難うございました。この世からこんな喜びの世界に住わせて頂けるとは知りませんでした。
どうかみなさん、早く早く一刻も早く、真の信心を頂かせて頂きましょう。後生は一大事です。だれも助けてはくれません。助けて下さるのは阿弥陀さま一仏だけです。どうか阿弥陀さまの御心を真剣に聞いてください。お願いです。どうかお願いです。
有り難いことです。本当に有り難いことです。
阿弥陀如来のお慈悲に摂取されて、菩薩の仲間入りさせていただけるとは、我が身ながら何と恥かしいことでしょう。こんなお粗末な私が、正定聚の菩薩に生かされるのがもったいなくてもったいなくて、ただただ南無阿弥陀仏、お念仏です。
日々の暮らしの中で出てくる愚痴のあいまに、吹き出るお念仏。南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまが私を呼んでくださる御声です。十方に響き渡る大きな大きな御声です。
どうかみなさん、御恩報謝のお念仏を称えられる身にならせて頂きましょう。それには真剣な聞法が肝要です。必ず必ず美しき真の信心が頂けます。私のような泥泥の泥田の心の中にも美しく咲いた阿弥陀さまからの御信心。何と美しいことでしょう。何と喜ばしいことでしょう。有り難うございました、阿弥陀さま有り難うございました。親鸞さま有り難うございました。善知識高僧方のご苦労なかりせば、真の信心を頂くことなどできませんでした。
どうかみなさん、高森先生から真剣に聞かせて頂いてください。必ず必ず頂けます。お願いです。
みなさん、有り難うございます。
無上の法に生きる我が身の幸せは、何にたとえることができましょう。
南無阿弥陀仏と称える念仏は、阿弥陀さまが私を呼んで下さる直の弥陀の声であります。たとえ昼であろうと夜であろうと、雨が降ろうと風が吹こうと、常に呼んで下さる阿弥陀さまのお慈悲です。
みなさん、この世は浮世、夢の世です。何と儚い世でありましょう。無常の世にありながら、こんな無上の幸せに生かされるとは。阿弥陀さまの御心のまま、未来に私のような凡夫の考えは要りません。後生に不安は全く要りません。自分の思いや考えは、何一つ間に合いません。
阿弥陀さまは、すべてをお見抜きでした。仏を嫌がり、法を聞かない私でも、それが正客逃がしはしないと、しっかりと摂取してくださりました。こんな慶びはありません。
どうかみなさん、聞いてください、真剣に聴聞してください。必ず必ず頂けます。
真剣な聞法こそ命です。阿弥陀さまは、すべてをお見抜きです。
有り難うございました、有り難うございました。
みなさん、聞いてください、真の法を聞いてください。
そのまま救うが、阿弥陀さまの呼び声です。悪に染まり、罪に穢れた私を、助けさせてくれよ助けさせてくれよと、阿弥陀さまの方から頼んでおられるのですから、すべては逆さま。勿体ない。
頼まれておまかせした阿弥陀さまですから、頼む心も起こすことはありません。すべてが阿弥陀さまにおまかせでした。まかせた一念、心の臨終でありました。
みなさん、聞いてください。心の臨終がすべてです。迷いの心の臨終が、肉体の臨終よりも先になければ決して助かりません。雑行一杯、自力一杯の心をふりすてて、阿弥陀さまにおまかせした一念が、永の迷いの終わり、心の臨終です。
どうかみなさん、この一念突破して、この上ない幸福の身に生かされてください。
私の肉体は、病におかされて、そう長くはないでしょう。だけれども、一息切れたその先は、阿弥陀さまの極楽浄土、明るい明るい間違いない世です。どうかみなさん、同じ弥陀の浄土に生まれさせていただきましょう。お願いです。真剣に聞いてください。親鸞聖人のみ教えを、阿弥陀さまの御心を、信一念の水際を、聞かせていただかねばなりません。
どうかどうか、お願いです。
阿弥陀さまの御声が聞こえました。信一念まことでありました。何という不思議、何という歓喜、これ以上の幸せはありません。
みなさん、真剣に聴聞してください。永い永い、過去無量劫から迷い苦しんできた心に死に別れて、安心安心大満足の往生一定の身にさせて頂けます。
この真の信心を頂く信一念で、心は浄土に遊ぶなり。1日1日、1時間1時間、1分1分、1秒1秒が、楽しい明るい日暮しをさせて頂けます。阿弥陀さまの信楽のお約束、間違いありませんでした。まことでした、まことでした。何と嬉しい、何と喜ばしいことでしょう。
今生から正定聚の身にさせていただき、助けさせてくれよの阿弥陀さま大悲が届けば、阿弥陀さまも喜べば、私も大安心大満足。この娑婆の縁尽きれば、阿弥陀さまの極楽浄土間違いなし。有り難うございました。有り難うございました。
みなさん、本当に真剣に聞いてください。親鸞聖人のみ教えを、火の中かきわけても聞き抜きましょう。真剣な聞法、生きた聞法、こそが命です。どうかどうか、お願いです。
阿弥陀さまの直の呼び声が聞こえた時は、不思議不思議の他はありません。遠い遠い過去から、お前一人を助けるぞと約束された阿弥陀さまが、直の呼び声届いた時に、喜んで下さりました。私も歓喜にむせぶばかりでありました。
有り難うございました。こんな世界があろうとは知りませんでした。自分の罪で堕ちてゆくのが業ですが、阿弥陀さまはそれが悲しいと泣き泣き本願をたてて下さりました。明らかでした本当でした、阿弥陀さまの御本願。聞いてください、聞き開いてください。
大慈大悲の阿弥陀さまの、五劫の思惟は誰のためでもありません。真剣に聞いてください。聴聞してください。間違いありません。無明の闇が晴れて、大安心大満足できる世界があります。どうかどうか、この身にさせて頂くまで、求め抜かせて頂きましょう。南無阿弥陀仏の宝をまるもらいさせて頂くところまで。
合掌